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台灣の近代美術-留学生たちの青春群像(1895-1945)@東京藝術大学大学美術館 2014年9月13日(土)

【展示室3】を使い
会期は、~10月26日(日)まで
本日が二日目のためだろうか、場内はそこそこの人の入り。

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彼の国を日本が統治し始めたのが1895年。
韓国併合が1910年、
日清戦争が1914年。

この歴史の流れが頭に入っていると、
本展を観る角度もまた違って来るかも。

戦前・戦中は、それらの国々からも多くの留学生が来日し、
『藝大』でも日本人と共に研鑽を積んだのだろう。

その中から、台湾からの留学生をピックアップし、
在学中の作品と、その後の活動を十四人に絞って紹介している。


入って直ぐは「自画像」のコーナー。
夫々の「所蔵」元を見て行くと面白い。

東京藝術大学』や「個人」は当然だが、
台北市立美術館』にまで手を伸ばし、求めている。


作品の素材もしかり。
キャンバスや板は当然として、
絹本に画かれた油彩が一点ある。

『劉錦堂』の〔芭蕉図〕。
芭蕉」と言うからには『松尾芭蕉』かと、
日本人なら思ってしまう、黒い袈裟を着た人物が
正面を向き、座禅を組んでいるし。
しかし、その面立ちは〔魁!!男塾〕の『江田島平八』塾長にしか見えず、
どう考えても違うよね、これは。

どうやら、背景に描かれた芭蕉こそが、本作のタイトルを顕わし、
それにしては随分とざっくりとした描写は、
遠景の石橋とそれを渡る人も含めてだな。


三人の女性が描かれている〔台湾遺民図〕は、
最初「三美神」や〔智・感・情〕かとも思ったが、
真ん中の女性の額には白毫があり、
更に左の掌には眼も描かれていて、
どうやら〔MONSTER〕ですかい?


最も最新の画が1947年。
戦中の作品は日本統治の影響が、やはり色濃い。
それが1945年の『李石樵』の〔市場の入り口〕になると
一気に洋風な空気が画面いっぱいに充満する。


彼等もまた、母国と日本の狭間で
剣呑な空気に巻き込まれながら懊悩し、
制作をしていたことが、
画面を時系列に並べることで理解できてしまう。