関西の美術学校の学生が描く作品を、
纏めて観ることができる機会は
首都圏では、そうそうは無い。
纏めて観ることができる機会は
首都圏では、そうそうは無い。
しかも、【佐藤美術館】は第一会場で、
第二会場として【中央線】を挟んで対面に在る
【東京芸術学舎】も設定されていると言う。
第二会場として【中央線】を挟んで対面に在る
【東京芸術学舎】も設定されていると言う。
距離的には徒歩十分と指呼の間だし、
昨日とは打って変わっての快晴。
うらうらと暖かい陽に誘われるように、
出かけたわけだ。
昨日とは打って変わっての快晴。
うらうらと暖かい陽に誘われるように、
出かけたわけだ。
こちらでは、十九名の二十四点が展示。
比較的大きな作品が多いのと、
一人で二~三点の出展もある。
比較的大きな作品が多いのと、
一人で二~三点の出展もある。
『佐藤史香』の〔flamingo〕と〔ひるひなた〕は
正統な日本画。
後者は猫が数匹、日向で屯って居る。
その肢体は様々で、見ていて、気持ちが暖かくなる。
毛の描写は、さほど詳細ではないのだが、
それが却って、猫の丸みや軟らかさを際立たせ
実体化させている。
それは、羽毛の描写にも、如何なく発揮されているようだ。
正統な日本画。
後者は猫が数匹、日向で屯って居る。
その肢体は様々で、見ていて、気持ちが暖かくなる。
毛の描写は、さほど詳細ではないのだが、
それが却って、猫の丸みや軟らかさを際立たせ
実体化させている。
それは、羽毛の描写にも、如何なく発揮されているようだ。
『佐竹龍蔵』の〔girl〕〔ひと〕〔おんな〕は
何れも、一辺が1.4メートル超の作品。
画かれているのは女性の顔のアップ。
これを『スーラ』の様な点描で、
しかも、一つのドットは消しゴム程もあり、
かなり大きい。
デジタル映像がブロックノイズでモザイク状になっている
様にも見えるが、勿論、距離を置けば、なんとも好ましい顔に
変貌するわけだ。
何れも、一辺が1.4メートル超の作品。
画かれているのは女性の顔のアップ。
これを『スーラ』の様な点描で、
しかも、一つのドットは消しゴム程もあり、
かなり大きい。
デジタル映像がブロックノイズでモザイク状になっている
様にも見えるが、勿論、距離を置けば、なんとも好ましい顔に
変貌するわけだ。
『金本典子』の〔めぐる〕は、『松井冬子』にも似た描写。
画かれているのは蝋燭だが、
蝦蟇の油宜しく、たら~りたら~りと蝋を流し、
それが粒となって滞留している。
何と無くねっとりとして、背筋が薄ら寒くなってしまう。
画かれているのは蝋燭だが、
蝦蟇の油宜しく、たら~りたら~りと蝋を流し、
それが粒となって滞留している。
何と無くねっとりとして、背筋が薄ら寒くなってしまう。
『イ・ミニョン』の〔Gamecontrol-迷宮〕。
斑のエクトプラズムが像を結び、
豹のカタチに生成される。
幾体もの豹が、階段を徘徊しているが、
来し方行く末、何れも定かでは無い。
古びた階段の茶の上に、
彼らの鮮やかな黄の対比が鮮烈だ。
斑のエクトプラズムが像を結び、
豹のカタチに生成される。
幾体もの豹が、階段を徘徊しているが、
来し方行く末、何れも定かでは無い。
古びた階段の茶の上に、
彼らの鮮やかな黄の対比が鮮烈だ。
『長谷川雅也』の〔隙〕も良い。
鮮やかな、マリンブールの背景は清冽。
木には小鳥が二羽。
それを横目で伺う猫。
一瞬、両者の間に緊張が走る。
じゃれている様で、けして油断をしない小鳥達。
気にせぬ素振りで、実は気を欹てている猫。
でも、この肢体は、日本の猫のそれでは無いよなぁ。
もの凄くスリムだ。
鮮やかな、マリンブールの背景は清冽。
木には小鳥が二羽。
それを横目で伺う猫。
一瞬、両者の間に緊張が走る。
じゃれている様で、けして油断をしない小鳥達。
気にせぬ素振りで、実は気を欹てている猫。
でも、この肢体は、日本の猫のそれでは無いよなぁ。
もの凄くスリムだ。
『川内真梨子』の〔SUNRISE〕も気になる作品で、
おいおい、何て良作が多い展示会なんだ。
おいおい、何て良作が多い展示会なんだ。
これ程の空間に、来場者は、自分以外には
二人だけ(しかも最終日だぜ)。
なんて勿体無い。
二人だけ(しかも最終日だぜ)。
なんて勿体無い。