とは言うもの、観ているうちに、西洋と東洋/聖画と仏画の境界が
判然としなくなってくるのは事実。
絹本の上に油彩で〔聖母子像〕を、キャンパスに油彩で〔涅槃図〕を描いたり、
手法もそうだが、描かれている中身も、彼我の差が曖昧な造形。
〔慈母観音像〕から抱かれている”幼子”だけ抜き出して、
「キリスト生誕です」と解説されたら「うん、そうだよね」と肯いてしまう
バタ臭いタッチ。
判然としなくなってくるのは事実。
絹本の上に油彩で〔聖母子像〕を、キャンパスに油彩で〔涅槃図〕を描いたり、
手法もそうだが、描かれている中身も、彼我の差が曖昧な造形。
〔慈母観音像〕から抱かれている”幼子”だけ抜き出して、
「キリスト生誕です」と解説されたら「うん、そうだよね」と肯いてしまう
バタ臭いタッチ。
油彩で大画面に描き込まれた作品よりも、絹本に岩絵で描かれた、
〔観音像〕〔魚藍観音像〕の方が、描き込みは細かいが、すっきりしていて、好ましい。
〔観音像〕〔魚藍観音像〕の方が、描き込みは細かいが、すっきりしていて、好ましい。
水墨でも〔達磨図〕のざっくりとした衣の描き方(細かく描き込まれている顔の部分は、
あまり良くない)、
〔ぶっぽうそう〕の梟が止まっている枝ぶりや、〔富嶽図〕の稜線を極太にひいた、
大胆な描写の方が良いな。
あまり良くない)、
〔ぶっぽうそう〕の梟が止まっている枝ぶりや、〔富嶽図〕の稜線を極太にひいた、
大胆な描写の方が良いな。
解説プレートを見ると、各寺社から借りたり、共同施設に展示されているものを
一時外して来ている作品も多いようだ。
実は、他の場所でも、意外とそれとは知らずに目にしているのかもしれない。
一時外して来ている作品も多いようだ。
実は、他の場所でも、意外とそれとは知らずに目にしているのかもしれない。