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磯江毅=グスタボ・イソエ マドリード・リアリズムの異才@練馬区立美術館 2011年9月25日(日)

一般の入場料は500円なので、
正規料金で入っても良かったのだが、
たまたま、ふらりと立ち寄ったディスカウンター
300円で売られているのを見て
即買いしてしまった。

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会期終了まで、あと一週間となった訳だが、
当該美術館は(例え無料であっても)さしたる混雑になった事が無かった経験から、
侮って出かけたのが大間違い。

何と、一作に対して、平均で2~3人が群がる程の混雑。
嘗て経験したことがありません。

特に、TV等での特集も無かったのになぁ、と
訝りながらも、そこはそれ、館内に一歩足を踏み入れれば、
一気に『磯江』の世界に取り込まれてしまう。


もう何度目になるだろう
〔新聞紙の上の裸婦〕は、その着想の妙と
裸婦と新聞の、あまりにも異なる質感の描き訳と、
新聞紙をまんま再現した細かい描き込みには、
感動すら覚える。

〔鮭"高橋由一へのオマージュ"〕も
板の上に捌いた鮭を描き、更にその上に
(鮭を)留める為の荒縄を描き、
板との境目には、本物の荒縄を解した素材を使用することで、
描き込みとの境目が識別できないほどの技巧。

静物にしても、
例えば瓶は、ワインであれば、古く汚れたもの、
新聞紙に包んだもの、白い紙に包んだものと、
表面の素材を通して、その内側にある物までもが
感じ取れそうな感触に満ちている。

果物も然り。
新鮮なもの、熟れたもの、
腐乱が近くなったもの、乾いてしまったもの、
そして(やはり)紙に包まれているものと、
一つの画面に存在する素晴しさ。

自画像となると、
鏡に映る自分、
上方に立て掛けたガラスのぼんやりと映る自分
全てが過不足無く描きこまれ、
これは最早、リアルを超えて、
精神や内面までもが描写されている。


デッサン等を除いても、約八十点の殆んどは
目録で確認すれば「個人蔵」となっており、
本展のために集めたキュレーターの方の尽力が偲ばれる。

けだし至福の空間は、
久々に立ち去るのが惜しくなる
素晴しい「場」であった。


注1)何点かの所蔵先に
長谷川町子美術館】がクレジットされていた。
サザエさん〕の作者の眼力の凄さを思い知らされた。

注2)画の脇に付けられたキャプションは、
『磯江』の奥様によるものらしい。
当人達の間でしか知りえない
経緯の発露が、今回の展示に
ぴたりと嵌まっている。