こ~ゆ~のを、天佑ってゆ~んだなしめしめと、
訪問日を狙う。
訪問日を狙う。
当日の予報は、
午後からは荒天。
午後からは荒天。
ロータリーの正面には、
こんもりと木が茂り、
この先に当該館が在る筈だが・・・・。
こんもりと木が茂り、
この先に当該館が在る筈だが・・・・。

大きな看板の脇に案内版。
館内は思いの外、人が多い。
しかも、自分の歳以上の
高齢者の影が濃い。
しかも、自分の歳以上の
高齢者の影が濃い。
確かに彼らにとっては
当該年代はまさに青春真っ盛り
だもんねぇ。
当該年代はまさに青春真っ盛り
だもんねぇ。
展示内容は正直言って、雑多。
それは、扱っている時代そのものに由来すると思う。
それは、扱っている時代そのものに由来すると思う。
これを自分に置き換えてみると、どうだろう。
70年代初頭は小学生だった。
末には大学生になっている。
「少年マガジン」→「プレイボーイ」→「GORO」と
主に読む雑誌も変遷するのだが、
環境も含め激しい変化が伴っている。
70年代初頭は小学生だった。
末には大学生になっている。
「少年マガジン」→「プレイボーイ」→「GORO」と
主に読む雑誌も変遷するのだが、
環境も含め激しい変化が伴っている。
それが一か所に、恰も、そこに在って当然の様に
詰め込まれている。
違和感を感じる理由はそこにある。
勿論、象徴的な年が設定されているとしても、だ。
詰め込まれている。
違和感を感じる理由はそこにある。
勿論、象徴的な年が設定されているとしても、だ。
自分が若かった頃の記憶であり、
少し前に別の展来会で観た記憶。
少し前に別の展来会で観た記憶。
それらが、ポスター・雑誌・LPのジャケット等から
自ずと想起される。
自ずと想起される。
そうそう、こ~ゆ~のあったよね。
これを見て(聞いて)いた時は、こんなだったよねと、
自分以外でも、
魅入る客達の背中が、自ずと語っているようだ。
これを見て(聞いて)いた時は、こんなだったよねと、
自分以外でも、
魅入る客達の背中が、自ずと語っているようだ。
少し、鼻の奥が、ツンと来る様な空間だ。
しかし、こ~ゆ~美術館に来て
つくづく思うのは、
自分の様な遠路来る好事家と、
地元の人達がふらりと訪れる場合の
反応の妙。
これは明確に違うからね。
つくづく思うのは、
自分の様な遠路来る好事家と、
地元の人達がふらりと訪れる場合の
反応の妙。
これは明確に違うからね。
展示内容への反応を
脇から覗うのも
なかなかオモシロかったりする。
脇から覗うのも
なかなかオモシロかったりする。
会期は~11月11日(日)まで。
また、同時開催として、
人気投票で上位に選ばれた「コレクション名作選」と
寄贈作品をベースにした「コレクターの眼」。
寄贈作品をベースにした「コレクターの眼」。
前者では、
現代美術のセクションでは、
『上田薫』の〔ジェリーにスプーンC〕とか
『ヘスス・ラファエルソト』の〔黒のT〕とか。
近代美術でも『モネ』『ルノワール』『ルオー』『ピカソ』
等の日本人好みの作家が並べられ、
更には
『バウキン』の〔眠る裸女〕
『フジタ』の〔横たわる裸婦と猫〕
も懸架され、望外の収穫。
日本画では
『深水』の〔宵〕
『桂月』の〔春宵花影〕
が素晴らしい。
現代美術のセクションでは、
『上田薫』の〔ジェリーにスプーンC〕とか
『ヘスス・ラファエルソト』の〔黒のT〕とか。
近代美術でも『モネ』『ルノワール』『ルオー』『ピカソ』
等の日本人好みの作家が並べられ、
更には
『バウキン』の〔眠る裸女〕
『フジタ』の〔横たわる裸婦と猫〕
も懸架され、望外の収穫。
日本画では
『深水』の〔宵〕
『桂月』の〔春宵花影〕
が素晴らしい。
後者では
『堂本印象』の〔鳥言長者草〕
かな、やはり。
『堂本印象』の〔鳥言長者草〕
かな、やはり。
こういった作品群を、
規定の料金内で鑑賞できる環境は
ホントに有り難い。
規定の料金内で鑑賞できる環境は
ホントに有り難い。
ただ、一方で、地方との格差を
痛感する瞬間でもあるんだけど。
痛感する瞬間でもあるんだけど。