RollingStoneGathersNoMoss健啖部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、健啖部の活動報告。文化活動履歴の「文化部」にも是非お立ち寄り下さい

毛皮のヴィーナス@チネチッタ川崎 2013年12月23日(火)

封切り三日目。

席数244の【CINE 6】の入りは七割程度。

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市内の古びた劇場で
折りしも新作劇〔毛皮のヴィーナス〕のオーディションが行われている。

しかし応募して来た女優達は皆が皆、
知性の欠片も無く語り口も現代的過ぎて
脚色・演出家の『トマ・ノヴァチェク(マチュー・アマルリック)』は満足できず、
劇場を後にしようとしていた。

そんな時に一人の女性が、オーディションの時間に遅れたと
飛び込んで来る。
彼女の名前は奇しくも劇の主人公と同じ『ワンダ(エマニュエル・セニエ)』。

『ワンダ』は何としても審査をしてくれと頼み込み、
その強引さに負けた『トマ』は自分が相手役となり、
実際の舞台を模して演技を始める。

しかし、シーンが進行するに連れ、次第に
どこまでが脚本の科白で、どこからが地の会話なのかも判然としなくなり、
彼等共々観客の側も虚構の縁に落ちて行く。


中途までは素晴らしいと思った。
主と客、虚と実が自在に入れ替わる二人芝居。
演じる側の混乱がそのまま観る側にも伝わり、
こちらも著しく戸惑ってしまう。

しかし、その後が・・・・。


フランソワ・トリュフォー』の分身が
アントワーヌ・ドワネルジャン=ピエール・レオ)』であるなら
本作の主人公は
ロマン・ポランスキー』の分身と言って良いかもしれない。
要は、小柄な優男であり、ラストに向かうに連れ、
その過去からのスタンスを厳しく断罪されることも含めて。

そういった意味で、監督自身に対してのセルフパロディーに近い趣きなのだが、
そのラストシーンがどうにもいただけない。

ましてや、聖書やギリシャ神話、古代ギリシア劇に
造詣のほぼ無い日本人にとっては
なんのこっちゃら、という感じではないか。

評価は☆五点満点で☆☆☆★。

多分『ポランスキー』は、
もっと若ければ自分で主人公を演じたかったに違いない。

なんとなれば、
もう一人の主人公を演じた『エマニュエル・セニエ』は
彼の実の妻だから。

演技上とはいえ、その科白を自分に投げつけて貰いたかったのだろうと。
そうすれば、作品とまるっきり同じ二重構造が、完成するんだから。