席数154の【CINE 9】は六~七割程度の入り。
客層は、若干高齢に振れているが、
お子様連れの家族もちらほらと見かける。
客層は、若干高齢に振れているが、
お子様連れの家族もちらほらと見かける。
が、その引越し先は
「座敷わらし」の住む家だった。
「座敷わらし」の住む家だった。
ただ、その家に「座敷わらし」が居ることは
ファーストシーンで既に提示される。
ファーストシーンで既に提示される。
主人公の娘や妻は、田舎での生活に馴染めない。
かと言って、(特に娘は)虚偽的な都会での交友関係にも
疑問を感じている。
疑問を感じている。
ことほど左様に、
家族の構成員は夫々の問題を持ち、
それが「座敷わらし」との係わりの中で
徐々に顕わになる。
家族の構成員は夫々の問題を持ち、
それが「座敷わらし」との係わりの中で
徐々に顕わになる。
一方で、その存在が、次第に家族が再融合する為の
触媒となっていく。
触媒となっていく。
東京の狭い家では、五人が擦れ違う生活だったのに、
岩手の広い家に越して来たことで、逆に
互いに寄り添い生きることになる。
岩手の広い家に越して来たことで、逆に
互いに寄り添い生きることになる。
やがては、バラバラだった家族が再生する。
「座敷わらし」が、共通の言語として認識されるまで、
半分の時間を費やしてしまうのは
何ともまだるっこしい。
半分の時間を費やしてしまうのは
何ともまだるっこしい。
段階を追って展開されるエピソード間の繋がりも
何と無くぎくしゃくしている。
何と無くぎくしゃくしている。
脚本の完成度は、あまり高くはない感じ。
当然の大団円の後、
胸が温かくなるラストシーンではある。
胸が温かくなるラストシーンではある。
ここでの「座敷わらし」はあくまでも脇役で、
「福の神」といった仄聞による影響が大きく、
実際は家族が持つ自助力がオハナシの鍵であるのだろう。
「福の神」といった仄聞による影響が大きく、
実際は家族が持つ自助力がオハナシの鍵であるのだろう。