RollingStoneGathersNoMoss健啖部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、健啖部の活動報告。文化活動履歴の「文化部」にも是非お立ち寄り下さい

ゼロの焦点@TOHOシネマズ川崎 2009年11月14日(土)

【SCREEN3】のキャパは158。
だが、チケットは早々とSOLD OUT。
初めてだよ、満席の劇場に入るのは。
Web予約しておいて、良かった~。

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『清張』の映画化作品は、〔砂の器〕〔告訴せず〕〔疑惑〕等などを観ているが、
何れも原作は未読。勿論、本作も。

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観終わった後に、こういった本で復習すると、
成る程、鑑賞中に感じていた違和感の源泉がわかる。


昭和32年の12月、結婚したばかりの『鵜原禎子(広末涼子)』の夫
鵜原憲一(西島秀俊)』が、赴任地の金沢で、突然失踪する。
真相を探るため『禎子』は単身金沢へ。

しかし、そこでは、この事件に関連すると思われる人たちが、
相次いで行方不明になり、また殺害される。

『憲一』の行方を追う内に、『禎子』は夫のことをあまりにも知らないことに気づき、
浮かび上がって来た彼の過去に愕然とする。

果たして、『禎子』は、真相に辿り付くことができるのか。


ある意味、戦後間もない昭和が色濃く反映されている作品であり、
その混乱期のドサクサが無ければ、本作は成立しない(それは、〔砂の器〕も同様だが)。
でも、自分が子供の頃は(これよりも五年以上も後)、まだ近い情景や風俗は残っていた。
その意味で郷愁や懐かしさを何と無く感じてしまい、物語の世界に素直に入っていける。
本作を楽しめる、かなりの部分は、この点にも依っているだろう。

また、カメラも意図的にであろう、前時代な動きで、それと無く我々を、
往時に誘ってくれる

狂言回しは『広末涼子』だが、本作の主役は彼女を含む三人の女達である
(夫々、『室田佐知子(中谷美紀 )』『田沼久子(木村多江)』)。
彼女達の過去が濃密な影として事件の背景に置かれているわけだ。

ただ、小説にはある、ある重要なヒントが提示される場面が、
映画では端折られており、
それがために『広末涼子』が
途轍もなく勘の良い名探偵と化してしまっている。

事件の発端に時間を割いたことによる、ある程度の時間の省略なのだろうか?
時代の雰囲気を先ず感じさせないと成立しない映画であることを考えると、
ここいら辺は痛し痒しか。


しかし、これこそが、本格ミステリーなのだろう。
小道具の使い方といい、ヒントの提示の仕方といい、
絶妙である。